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日曜日。気持ちいいほどの晴天!絶好の洗濯日和!
なんて爽やかな朝、今日もいい一日になりそう…♪

そんな風に思い込みながら、洗濯物を干す。
思い込む!そう決めたのに…。

どんよりと。カビでも生えそうな居間の一角。そちらに目をやる。
うちの家族、飼い犬の豆ちゃん。もうおじいちゃんになった豆ちゃんが慰めるのは、うちの息子。

晴れた日曜だというのに、豆ちゃんを傍らにして、ぼーっと何もないところを見つめる息子。
辛気臭くて、そろそろ可哀相。
もう就職してそこそこ経つのに、私や豆ちゃんが心配だと言い訳して、実家住まいの息子。
…そりゃあ、まぁ助かりますけど…。
母としては適齢期の息子が休日に、何の予定もなく、朝からぼーっとしているのは不憫で可哀相で仕方がない。

目に力が無い。覇気が無い。
関西の大学に進学し、そちらで就職するのかと思っていたら、帰ってきた。
あの頃は、まだ目に光があったような気がする。
休みの度に出かけて、探しに行っていたのは知っていたけれど…。
あの頃は、あまり先方に迷惑をかけちゃいけない…そう思っていたから…。
会えずに落胆して戻ってくる。そうしてどんどん、くたびれていく息子。彼に何も声をかけられなかった。

先日…数年ぶりに偶然、青木さんに会った。想太君、都内で独り暮らしをしてるって教えてくれた。
実家を訪問するほどの勇気はなかったのでしょう。きっと付近をうろついて、期待して待っていたのでしょう。
残念、この町にはもういなかったのね。
この後も、彼は豆ちゃんの散歩と言い訳をして、好きな人の家をぐるぐる回るはず。
本当に不憫で仕方がない…。我が子ながら、可哀相で仕方がない。

だから。そう言えば…と、軽い調子で。ワザと、何て事はない様子で伝えてみた。
おまけに、聞いてないの?って加えてみた。

一度、瞳に光が射して…その後、真っ暗になった。
そうね…。もう、潮時だと思うわ。
浩介。あなた、ちゃんと現実に向き合うべきだわ…。
なんて不憫な子。あなた…あれから何年経ったか、わかっているの?


そして、ようやくの。
息子の初めての外泊。
仕事帰り、高校時代の友達と飲んでくる。
そう言って家を出た金曜日。

ようやく吹っ切れたのかしら…。
自暴自棄になって、よそのお子さんに迷惑をかけてないと良いけれど…。
そう思っていたある週末。
それから、息子は帰らなくなった。

もちろん連絡は取れるので、心配はしていなかった。
これで良かった…。そう思っていた。
豆ちゃんも、やれやれと。ようやく肩の荷が下りたよう。

でも、いいのかしら?あの子。これで、本当にいいのかしら?
そうも、思ってしまう。

縮んだセーターと、ふわふわした髪。おいしいって私の料理を嬉しそうに食べてくれた、あの可愛い子。
息子は、あの子以外で幸せになれるのかしら?
あの子以外の為に、生涯を努められるのかしら?

『荷物を取りに行く』

そう、メッセージがきた日曜日。
はいはいどうぞ。と返事をした初夏の昼下がり。

ただいま。と他人の様に弾んだ息子の声に驚いて。
思わず玄関まで駆けてしまった。

「…お久しぶりです」

そう言って、頭を下げたのは久しぶりのかわいい子。
その隣に満面の笑みの息子。

ワンワン!と久しぶりに大声をあげてくれた豆ちゃん。
そんな声、まだ出せたのね…。こんな事にも感動して、泣いてしまった。

みっともなくて、ごめんなさい…。
そう言って指で涙を拭っていたら、そっと差し出されるハンカチ。

少し、むっとしている息子が、あまりに不憫で更に泣けてきた。
ハンカチを貸してもらったぐらいで…。
大丈夫ですか?と背中を撫でて貰っているからって…。
それくらいで母にまで嫉妬を隠さない、愚かな息子。

息子を宜しくお願いします…。そう頭を下げたら、オロオロしているかわいい子。
そんな彼を、惚けて眺める不憫な息子に。
良かったわね…。
そう呟いて、彼の本当の旅立ちを祝った。

嬉しそうに笑う二人を見て、心の底から祝福した。



【そろそろ、ドラマティック】


9年ぶりに会えた青木。
舞い上がって飲み過ぎた。仕方ないな…と彼は部屋に入れてくれた。
優しい彼。後ろから抱きしめて、キスをした。
このまま…もっと…。
そう思って押し倒したベッド。なのに逃げられた。
するり、と逃げられた。
「明日も仕事だろ…」そう言って逃げられた。

朝、起こしてくれた。用意された朝食に感動していると「俺、恋人いるから」と宣告された。
夢…。そうであってほしいと自分の頬をはたく。
口の中を切るほど叩いてしまい、青木に叱られた。
よく、意味が分からない…。そう思いながら、味噌汁を啜った。
すごく、おいしいのに。毎日飲みたい。そう言いたいのに。
口の中で、血と混じって…。すごく苦かった。

土曜の仕事。普通に仕事。部屋着の彼が送り出してくれて。
いってらっしゃい。なんて言ってくれたから。
都心から離れる電車の中で、幸せだった。
恋人がいる?ああ、俺の事だろう。
そう、思い込んだ。そう思わないと、仕事になんて行けなかった。

いつもより早めに帰る土曜。当然かのように都心に向かった。青木の部屋に戻った。
オートロック。部屋番号を押す。…でない。何度も押す。でない。

電話…しようにも連絡先を教えてくれない。
なぜだろう?あんなに可愛く俺に笑いかけるのに。
綺麗な手で、俺の朝食なんて作るのに。
おかわりいる?なんて言って、ものすごく、愛らしかったのに。

入れてもらえないマンションのエントランス。
住人が一瞥していく。ここにいるのは、今後を考えると得策ではない…。
一度、外に出る。

夕暮れ時、月がうっすらと、ぼんやりと空にいる。
待ち人を待つ。ずっと待つ。逢えるまで、待つ。

だって…ようやく、見つけた。やっと、逢えたんだ。
青木だ…。青木。俺の好きな人…。
このままに、するわけないだろう。離すわけないだろう。
9年…ずっと待った。ずっと探してた。
…長かった。本当に長かった。

なぁ、青木。ねぇ、青木。
お前の残りの一生、それは全部俺がもらうから。

◇

出先から戻ると、自宅近くで後ろから抱きしめられた。
体中が熱くなる。この感覚、本日二度目。
振り返ると、井田。切なげに俺を見る井田。

仕方ない。そう装って、また部屋に入れた。
玄関入って、電気をつけると同時くらい。
また、後ろから抱き着かれる。
名前を呼ばれて…強く抱きしめられる。
「好きだ」って熱っぽく囁かれる。
こんな風に口説くようになったんだ…。体が熱くなる。
俺、恋人いるって言ったのに…。こいつ、全く気にしていない。

恋人…正確に言うと「いた」になる。
今日、さっき。別れてきた。かなり、一方的に。
付き合って半年の彼氏、別れてくださいと頭を下げた。
気持ちは分かった、また話そう。そう言われた。
次はない…。もう二人では会わない。そう告げて帰ってきた。

だって、もう。井田と会ってしまった。
井田とキスをした。逃げようと思えば、避けようと思えばできた。
なのに、受け入れた。してみたかった。

井田の厚い唇、熱い吐息。
鮮明に蘇る、あの夏の日の記憶。
もう、思い出していた。あの頃の俺たちの日々。

浪人中。受けていた模試の最中…それが最初。
ん?これ。わかるな。そんな風に、思い出した。
進路希望、そのままにしていた京都の大学。
入梅もしていないのに、A判定がでた。
通うことになった予備校で、てっぺん目指そう!と促された。

…まぁ、確かに。そう思って都内に進路を変えた。

西に行って、万が一。あいつに会ってしまったら…。
ああ、それはまずい。やっぱり都内だ…。
そう思うと、勉強に身が入った。
特に何もやることが無いから、勉強に集中できた一年だった。

長期休みに行われる集中講座、家から出ようとしたら、井田がいた。
待ち伏せされていた。休みだから実家に戻ってきているんだろう。
それは、分かった。けれど…。
会えるわけがない。

裏口…我が家にそんなものはなく。仕方なく、予備校に遅刻の連絡をした。
カーテンを閉めて、早く帰れと念を送る。
居留守がばれているのか、部屋を睨んでくる井田。
熱中症を心配するほどに、我が家の前を動かない井田。

あの頃は、そこまで思い出せていなくて…。ただ、単に井田が心配だった。
花の大学生…こんなところで、男を追っかけている暇があれば、もっと楽しめよ。
そう、教えてあげたかった。
せっかくのイケメンなんだから…俺の事なんか気にしないで、可愛い彼女を作って青春しろよ。
そう、諭してあげたかった。

もうすぐ正午。その頃に買い物にでかけようとした母さん。
母さんの気配を感じて、踵を返す井田。
安堵する、俺。
こんな事、毎日していられない。心臓がもたない…。
そう思って、それからは都内のあっくんの部屋にお邪魔させてもらった。
そこから、予備校に通った。

この居候が!と文句みたいなことを言うあっくん。
でも、食事を用意していたら、受験生なんだから気を遣うなと叱られた。
勉強の合間の息抜きだ。そう言うと、仕方ないと食べてくれたけれど…。
あっくんの優しさに、感謝した。
そして橋下さんには感謝された。颯斗くんの浮気防止の為に、ずっとそこに居て。
そんな事を言われた。


切なげに俺の部屋を見上げる井田。
長期休みの度に、外にいる。

二度目の受験。目前の冬。
お守りがポストに入っていた。
嬉しいけど、切なくて。
でも、試験会場に持って行った。
一次、二次…。
難なく、通過した。

春…。一年遅れで大学生になった。

大学生活は楽しかった。
サークルで知り合った外部の子。黒髪ロングの華奢な子。
初めての女子からの好意、無下に断るわけにはいかなかった。

かわいい、彼女。
手を繋いで、抱きしめて。キスをした。
柔らかい唇。触れた時に違和感を感じた。
あれ?なんか違う。

…そう思ってしまったけれど。
瞳を潤ませる目の前の彼女に、失礼なことはできなかった。
ゆっくり抱きしめて、柔らかい胸に顔を埋める。
俺の名前を呼んでくれる、高い声。
でも、ふと思い出すのは低い声。
耳の中までくすぐったくなる。そんな柔らかい声。

あいつ…俺にこんなことしたかったのかな?

そう、思いながら初めて女の子の中に入った。
快楽、そんなものは感じなかったけれど。
目の前の彼女が、気持ち良いなら…そう思って五感を振り絞って努めた。
大好き…。彼女がそう言う度に、安心した。
ああ、よかった。ちゃんと期待に応えられているようだ。って。

大学。実家から通えない距離ではない。全然ない。
でも、なんだか。一人でいたくなくて、あっくんの部屋に住み着いた。
なんだかんだと忙しい専門学生。さらに忙しそうな薬学部の彼女。
彼らを少しでも繋げられるならば…と、おどけてみた。

初めてできた彼女、橋下さんと一緒のところを見られて、誤解された。
勘ぐられた。嫉妬された。
確かに、橋下さんは初恋の人。でも、今は親友の彼女。
疑うような関係ではないよ。そう、優しく務めたけれど。
『私だけが好きでつらい…』
そんな事を言って拗ねる背中を、追いかけることができなくなっていた。

なんだか、俺も昔。そんな事を思ったことあるなぁ…。
そんな風に醒めてしまって…。初めての彼女とは、いつの間にかで終わった。
そういえば、橋下さん。独り身になった俺を見て、喜んでいたなぁ…。

次に付き合ったのは同性だった。
1期上。だから本当は同い年。
男子校出身で、大学入ってから女子と遊びまくってる。と自慢するイケメン。
でも、疲れちゃったって。
中高と男ばかりの中で育って、大学で女子に触れて、舞い上がっちゃったけれど。なんか違うって。
お前は、共学出身だし。彼女が居たのも知ってるし、女が好きだと思うけれど。
ちょっと、寄り道してみない?そんな風に誘われた。

俺、男と付き合ったことあるみたいだよ。
そう、言おうかと思ったけれど、結局言えなかった。
なんとなく、井田とのことは。知らない人に言いたくなかった。

今度は抱かれた。
なるほど、こっちのがしっくりくるかも。
そう、思って喘いでみた。

これ、井田とだったらどうなっちゃうんだろう…。
初めて性行為で快楽を感じた夜。
目の前で、愛を告げてくれる彼氏を余所に、頭の中には井田がいた。
結婚しよう…!そう言って吐精する彼氏の頭を撫でながら、
「どうやって別れよう…」
赤子みたいに胸を舐める男との別離を算段していた。

留学することにした。
もちろんあっちでやりたい研究があった。
でも、日に日に独占欲を隠さなくなる彼氏にうんざりしていた。
あっくんの連絡先を消された。二度と会うなと縛られた。
限界だな。そう思った。

彼氏に別れを告げたのは、国を発った後だった。
自分が、こんな別れ方をするようになるとは思わなかった。
でも、あっくんを取り上げられるのは許せない。
恋人の可愛い嫉妬…そんな風には思えない。
いや、ちがう。あっくんよりも大事と思えなかった。
きっと、それだ。

親友よりも、大事な人。
なんだか昔はいた気がする。
なんとなく、あいつかなぁ。そう思い当たる人は居る。
でも、あいつは違う。
あいつは、俺じゃ駄目。あいつのためにならない。
そう思って、想いを潰した。

その頃にはうっすらと、ぼんやりと。
なんとなく、少しずつ。二人過ごしたシーンが甦ってきてはいた。
でも、感情だけは思い出さないように蓋をした。

熱っぽい、あいつの瞳。
掌…、腕、唇。

思い出すと体が熱くなる。どうしようもなくなる…。
もがくように過ごした異国での日々。
どんなところにも、優しい人はいるもので。
寂しさを埋めてくれる人がいた。その人に寄りかかって、季節を過ごした。
髪の色も、瞳の色も違うのに。
あいつに似ている…。
面影だけを頼りに、恋人を選んだ。
チンコでかいなぁ…。そんなことを思いながら、セックスもした。
井田…どんなのだったんだろう?
下品な事を思い浮かべては、快楽を寝床にした。

卒業、就職活動。
人生は順調だった。海外での学びを終えて帰国した後も、あっくんの部屋に転がった。
その頃には週末に必ず橋下さんが部屋に来るようになったから、週末だけは暇だった。
仕方なし…と。週末の予定潰しに恋人を作った。

社会人が始まる春まではあと少し。
校内や就職予定先での相手探しは、後々に面倒だと気付き、ちょっと離れた人にした。
5歳上の経営者。ナンパされたので話を聞いてみたら、条件が良かった。
彼は京都を超えて、九州の人だった。
出張で毎週末は都内に…。そんな話をしていたから、ちょうどいいと思った。
でも、違った。毎週末の出帳なんてなかった。
いつの間にか、彼は都内にマンションを借り、平日まで俺を縛ろうとした。
日曜の夜…それから月曜の朝。昼、夜。
ずっと求められた。体が痛いって、そう訴えても。聞いてもらえなかった。
ずっと囁かれる愛してるの言葉。
その熱量が、なんだか重くて。もう、潮時かな…そう思って、離れた。

これ、あいつだったら違うのかなぁ…。そんな風に過るから。
もう、色々と限界だった。


就職してしばらくは、恋人はいらなかった。
仕事を覚えるのが楽しくて、時間が勿体なかった。

二年目ぐらい。ようやく少し余裕が出てきて、飲み会も楽しめるようになった。
その頃はなんとなく、女の子との会話が楽しかった。
探り合うような恋の駆け引き。ゲーム感覚で楽しんだ。
とはいえど、もう女性を抱こうとは思えない。
だから、二人きりになるのは避けた。
「朝まで一緒にいようよ」
そんな甘い、誘い。いいなぁって思って聞いた。

俺も、言ってみたかったな…。あいつに…。

もう、気持ちは、はみ出していた。溢れて、流れて。どうしようもなくなっていた。

井田…。今、なにしてるのかな?

差し出される女子の綺麗な爪をなぞりながら、俺だって好きな男に抱かれたい。
そんな馬鹿な事を考えた。
男同士じゃなかったら…記憶が無いなんて些細な事。あの時、無視できたのかなぁ。
…そんな風に泣いた。


同窓会。
よせばいいのに、行ってしまった。
もう一度付き合ってほしい。
そんな都合のいいことは願わない。
でも。でも…。ただ単に顔を見たかった。
遠くからでいいから、眺めてみたかった。

きょろきょろと。
落ち着きなく探す俺。それを見て、からかうあっくん。そして心配する橋下さん。
同じ様に、きょろきょろと。辺りを見回す男前。
懐かしいバレー部の面々。それらに囲まれながらも、きょろきょろと。
誰かをずっと探してる。

昔よりも、少し伸びた背。がっしりとした肩幅。
もう、完全に大人の男で。
ああ、髪伸ばしたんだ…。なんてときめく。
恋する乙女。完全にそんな風になっている。

あっくんが声をかけに行く。
「井田ー!」なんて言って、あの男前に。
壁に隠れていたけど、更に身を屈めた。
久しぶりの声が聞こえた。「青木、みなかったか?」そんな声。

嬉しくて、顔を両手で覆う。熱い、体が熱い。
「あっちで美緒ちゃんと一緒にいるよ」
そんな風に軽い、あっくん。するとこちらに駆けてくる音が聞こえる。
軽やかな靴の音。あの頃とは違う革靴の、でも何度も聞いた音。
あいつが、俺の元に駆けてくれる。そんな音。

ホテルの床は大理石。あの頃の様なアスファルトの、そんな音ではないけれど。
名前を呼んで、駆けてきてくれる。あの音。
付き合いだした頃は、いつも俺が追いかけた。
どんな遠くからでも、見つけることができて、すぐに駆けて行った。
まるで尻尾を振るように。

両思いになって、手を繋いで。抱きしめてくれて。キスもして。
俺のところまで駆けてくれるようになった。
好きになってもらった。それが伝わる足音だった。

「井田くん!こっちこっち」

初恋の彼女、親友の彼女。にこやかに手を振る彼女。
その華奢な体。その横をするりと抜けて。
俺は走った。

会えない。そう思って走った。
もう、いまさら。会えない…そう、泣いて逃げた。


◇


青木を抱きしめて、キスをした。
唇を開かせて、舌を吸った。
こんなキス、初めてした。

彼の住むマンションのエントランス。
それが見える場所で、ずっと。じっと。息を殺して待っていた。
誰にも見つからないよう、知られないよう。そんなところで。

こんな事やっているなんて…職場にばれたら、どうなるかな?
それも、面白いかもな。そう自嘲しながら、待っていた。
彼がここを通るのを、青木が家に戻るのを。

20時。それを過ぎたころ。
長い足の男が通り過ぎた。スタイル…いいよな。顔、小さいし。
そう思って、抱き着いた。むしろ、羽交い絞めにした。

綺麗な男は、驚きながら俺を見た。そして観念したように、ため息を吐いた。
二度目の訪問。玄関の扉、鍵を急いで閉めた。
キス、したかったから。
キス、して逃げられるのが怖かったから。

まだ、玄関。それなのに。
シャツの裾から手を入れて、肌を撫でた。
目指すところへと、掌を滑らせた。

「井田ッ…ダメだっ…」

服の上から手を停められる。でも、止まらない。
胸の突起を引掻いた。「あっ…」って甘い声。
溺れそう。もがく様にもう一度、キス。

「恋人…男?女?」

「…男」

自分から聞いておいて、絶望する。

「そいつと、こういうこと…したの?」

「そりゃあ…まぁ」

足から崩れそうになる。縋りつくように、白い体にしがみ付く。

9年…。目を離した隙に…。居なくなったと思ったらこれだ。
俺は犬派。でも、こいつは猫。
ふらりと、するりと腕から抜けて。
どこかで知らないオスの仔を身ごもるような。
どうしようもないメス猫だ。

躾けなきゃ…そう、思って。服を剥ぐ。
破る。投げる。
恐怖の瞳。でも、その奥に、なんだか優しさを感じてしまって。
掻っ攫うように、部屋の奥までズカズカ入って、ベッドに投げて押し倒した。

覆い被さって、キスをして。体に引っかかるだけの布をめくったら。
裸がすごくエロかった。
これを…他の奴に…。そう思うと、もうダメで。
怒りとか嫉妬とか。
愛しさとか、欲望とか。
そういうもので、感情がぐちゃぐちゃに汚れた。
汚れた感情、そのままに。
目の前の体。綺麗なそれに、精を放った。

きもちいい。って、喘ぐから。
夢見たような初夜にはならなかった。

誰に、見せたの?
誰に、聞かせたの?

そう、なじって、挿し込んだ。

何で、触らせた?
何で、舐めさせた?
何で、足を開いた?

そう、怒鳴って、噛み付いた。

泣いて、喚いて、乞うても許さない。
ごめんなさい。って、色っぽく喘いでも。
絶対に許さない。

柔らかい、性器。
ここを。こんなところを。こんな柔らかくしやがって。
そう、なじった。
濡れたアナル。卑猥な穴。
ここに、ずっと入りたかった。
俺だけの、俺だけが触れていいはずだった。
俺だけしか、見てはいけない体だった…。

…9年。
人格を変えるには、十分な月日だった。
鼻先でそっとキスするような。
手を握るだけで、体が熱くなるような。

そんな、幼い恋は昇華した。

手足を捥いでも、繋ぎとめたい。
離さない…。
狂気は少し、行き過ぎた。


くぽっ。っと間の抜けた音。
口いっぱいに無理矢理、挿れた俺のペニス。
跪く青木。その赤い唇から離れる。

「っ…ごめんなさい…」

泣いてぐちゃぐちゃの顔。屈んで、舐めるようにキスをする。

「何が、ごめんなさいなの?」

そう訊ねる。すると、また泣く。
口の中、出してやろうかと思ったけれど、やめた。
やっぱり、出すならこっち。
卑猥なこの穴から挿入して、青木の胎内。そこに出す。

再度、ベッドに押し倒す。
後ろ手に縛った。身に着けていたベルトで。
足は大きく開かせた。エロい体を全部見たくて。

「青木のアナルは、なんで濡れているの?ぱくぱく、開いて、どうしたいの?お前、淫乱すぎるよ。がっかりだよ」

「…ごめんなさいッ…」

がっかりした。そう言うと、一番泣いた。
恥ずかしそうに、足を閉じる。
でも、濡れて、流れている。
アナルから、とろとろと。大量の精液が。

もちろん、ここに捻じ込んだのは俺。
中に出して、孕めと。何度も腰を打ちつけたのは俺。
でも、悲鳴のような声をあげて、もっともっとと、腰を揺らしたのは彼。
きもちいい。と、もっと欲しいと。俺のペニスにしゃぶりついて、はしたなく濡れたのは彼。

震える、睫毛。大粒の涙で濡れている。
白い肌、色素の薄い艶めかしさ。そこにピンクの乳輪が卑猥。
ローションでもぶちまけたように、濡れて光る、ピンクの突起。
片手で弄って潰すと、嬌声。

ああ。誰だ?こんな体に、この人を。
こんな綺麗な子を、こんな風にした男は誰だ?

「しっかり足を開け。もっと、開いて、ちゃんと、奥を見せて」

「っ…はい…」

従順に、足を開く。
濡れた性器が全部見える。
腫れてめくれた肉が、すごくエロくて。おかしくなる。
出したばかりの俺の精液を、濡れた性器がエロくする。
ずっと、この中で出したかった。このエロい体。頭の中、何度も抱いた。
夢の中でも、想像の中でも。ずっと、ずっとこの体は俺だけのものだった…。
なのに…。なのに…。

「どうした?腰、揺れてるぞ。そんなに尻の穴を見せつけて…どうしたいんだよ?青木」

からかうと、俯く。
美人だよな。そう呟きそう。
本当は、こんな綺麗な子。もっと、優しく。したいのに。

「おねがい…井田の…勃起したおっきいおちんちん、俺の…ここに…まんこに挿れて…奥まで挿入して、いっぱい突いて…」

卑猥な言葉、言わせて悦に入る。
堪らない…。そう思うのに…俺以外にも…こんな事、した?
ああ、もう。気が狂いそう。

「そんなに欲しいなら、自分で跨って挿れればいいだろ」

笑いながら言ってしまう。すると、彼。顔を赤くして、また涙をこぼす。
その姿がとても可憐。こんなに儚げで…こんなに淑やかなのに。
縛られた腕を使えず、身を捩って俺の上に跨る。
勃起しきった俺のペニス。それを上手にアナルに招く。
腰を落として、体重をかけて、アナルの中にペニスを挿入させる。

じゅぷぷぷ

と、卑猥な音。そして

「アア゛アアアアアアっーー♡」

どうしようもなくエロい、声。

慣れたように腰を振る、思い人。
大好きな人。
失恋したような。そんな気持ちで、大好きな人の綺麗な姿を眺めていた。
強烈な快楽。
その中で、何度も果てた。


真夜中、午前3時。
新月、月も見えない夜空は、ただ暗い。
立場の入れ替わった。俺たち。
すすり泣きの声も、交替した。

「ごめん…」

そう、泣いて謝る。返事はない。

「ごめん…好きだ…青木が…好きなんだ」

ベッドの上、後ろ姿。
白い背中。震えている。声もくれない。

「青木…」

背中に縋りつく。縛り上げた腕、解いたら鬱血していた。
さあっと血が引いた。

あれだけ嬲ったくせに、今は縋って泣いている。
あれだけ、縛って苛めたくせに。今は、乞うている。

何もしゃべらない青木。抵抗が無い事をいいことに、背中にずっとキスをした。
「大好き…ごめん」
愚かなことをしたくせに、許してほしいと懺悔した。
「愛してる…」
ずっとずっと、そう詫びた。
振り向いてくれない。密着した体。
もう、あんな風には傷つけない…。そう思った側から欲しくなる、そんな体。
ごめん…ゆるして…何度も願う。
どんなに怒ったとしても、もう、居なくなるのだけは…ゆるして。


日曜の朝が来た。
向けられていた、背中。
それがいつの間にか、胴体に変わっていた。

俺の正面。そこに、かわいい顔。
懐に密着して、裸の青木が眠っている。

背中を向けたまま何も言ってくれない青木。
その背中に縋るように泣いた。泣いて、泣いて、抱きしめた。
そして、そのまま眠ってしまった。

青木の部屋、独り暮らしのシングルベッド。
そこに陽の光がやさしく射しこむ。
あんなに俺に酷くされたのに、寝顔は幼子のようにかわいらしい。

尊い…そんな感情が湧いてきて、頬を撫でる。
閉ざした目、長い睫。きれい…そう思うのに、また、欲情した。
赤い唇…そっと口づけた…。止まらなくなった。

股間の昂ぶり、それを彼の腿に擦り付けた。
起こしたくない…確かにそう思うのに。滑らかな胸、そして中央の赤い突起。それを触って、弾いた。

「んっ…」

色っぽい声。堪らなくて…彼の腿を持ち上げる。
そして、まだ濡れている性器。そこをペニスで撫でた。
ぬるぬると、粘着液の混ざる音がすごく卑猥で…。
我慢しろ!そう脳が指令を出す前に、体が動いてしまった。

「ああっ…ん」

甘い声…。耳が歓喜して、また泣いてしまう。
9年…9年か…。長かった。
会いたかった。ずっと、会いたいって。それだけだった。

青木、お前はこの9年。どう過ごしてきたの?
俺は、ただ。ただ。お前の事を考えていた。
俺の事、忘れたって…そう言われても。今までの二人の思い出が、全部消えた。そう言われても。
それでも、よかった。なんでもよかった。青木がいれば、それでよかった。

なぁ、青木。俺たち、何で離れなきゃいけなかった?
どうして、別れた?なぜ消えた?
俺のこと、あんなに好きって、言ってたくせに。
なんで…簡単に捨てたんだ?


痛むはずの体を、また激しく抱いた。
抵抗がない。それを愛情と無理に捉えて。

でも、キス…。嫌がらなかった。
体内射精。そんな酷いことをしても、怒らなかった。

それどころか一緒にシャワーを浴びて、ランチにしては遅い食事を共に摂った。
次の日は互いに仕事…。なのに帰れとも言われなかった。
夜、背の高い俺たちは密着してベッドに横になった。
悪戯するように寝巻きに入れた掌。彼は甘い声で受け入れる。

なのに。肝心な言葉は返してくれない。
愛してる。離れたくない。
どんなに口説いても、返事はくれない。

心だけは彼氏にと。操でも立てているのだろうか?
抱き寄せただけで照れていた高校時代の彼。
そんなのは、幻想だったのか。


「俺、今日帰りに飲みに行く予定あるから…」

月曜の朝、食卓に朝食を並べながら。青木はそう言った。
京都での一人暮らし。その時に自炊もしていたはず。
それなのに後の実家暮らしでリセットされた。
俺は内心ウキウキで、青木の作る食事を雛鳥のように待っていた。

「仕事…のか?」

違うと言われたら。ショックが大きい。なのに、訊ねる愚かな俺。
そして、案の定。「彼氏と会う」そう、つぶやかれた。

「やめてほしい…と言っても無理か?」

作ってくれた味噌汁。それに口をつける。
青木の顔が見れない…。椀の中で踊る具材を見つめる。

「うん…無理」

そんな返事を、汁と一緒に飲み込む。


相多と橋下。呼ばれていった先にいた青木。
あの金曜日から。土曜、日曜…と。
押しかけるようにして過ごした週末。

純情さからは、かけ離れてしまった彼。でも、そんな所も魅力的。
そう、想いを募らせるほど、やっぱり恋に墜ちている。

動けなかった俺を笑うように、青木はすごく綺麗になった。
9年間…。俺がいなくても、青木は生きてきた。

悔しいというよりは、悲しい。
悲しいというよりは、空しい。

だって、俺。青木が居るから生きていた。
青木に会いたくて、生きてきた。

俺ばっかり…。昔は、そう言ってくれた彼。
下りの電車で思い出しては、泣きそうだった。


そして今、俺は。都会の雑踏の中にいる。

夜の繁華街。背の高い男が二人。
肩を組んで歩いている。

「なぁ…帰るなんて言うなよ」

「んん…」

酔いつぶれた男を看病する男。世間にはそう見えるだろう。

「なぁ、想太…別れるなんて、もう言うなよ。ほら、気持ちいい事、しよ?」

そう言いながら、酔った男を連れ込もうとする声。
いやらしい手が、細い腰を撫でる。

…ああ、もう。これは運命だろ。

世界最大級の歓楽街。俺には全くが用事がない。
でも、なんとなく。今夜はここに来た。
そして見つけた。やっぱり、見つけた。

こんなに人が溢れた街で。出逢えるなんて、もう運命。
だから、奪った。だって、彼は俺のもの。

少し血が出たけれど。そこはご愛嬌。
綺麗な子だけは、守れたから。それで結果オーライ。


◇


寝転んだベッド。そこから見た天井。
見た事のない天井。

急いで体を起こそうとする。…でも、思うように動かない。

「ああ、目が覚めたか」

声。する方を向く。まさかの人物。脳が処理できない。

「男の趣味悪いよな、青木。嫉妬深い…独占欲丸出しの奴とばかり、きっと付き合ってきたろ…」

俺を筆頭に。と、おどける姿。そんな自虐ができるんだ…。そう驚く。


『もう一度、最後に話をしたい。しっかりと別れ話をしたい』

そう、入った元彼からのメッセージ。
大好きな人に再開してしまって、慌てて別れた彼氏。
流石に、礼に欠いた。と思い、仕事帰り…会うことにした。

元彼と、待ち合わせたのは深夜まで営業する喫茶室。
好きな人には、飲むと伝えた。
でも、そんなことはしない。
経験上、こういう時に飲むのはいけない。
そう、わかっているから。

酒なんて、飲んでいない。でも、体がおかしくなった。
ああ、医者だっけ?そう思った時には遅かった。
ブラックのコーヒー、何かを入れられたんだろう。
足がおぼつかなくなった。意識が朦朧とした。
ホテル街…どんどんと近づいて行った。

勘弁してほしい…。
そう、途切れそうな意識の中で、思っていた。
今までの中では、比較的相性の良かった元彼。
でも、もうダメだ。だって、昨日…いや、今朝まで、あいつと一緒だったから。
快楽を覚えてしまった。恋する相手とのセックス。気が狂うほど気持ち良かった。

再開した大好きな男。なぜか今、目の前にいる男。
金曜日、酔ったこいつを連れ込んだ。
キスされて、舞い上がった。付き合っていた医者。次の日には別れを告げた。

土曜日、別れ話をした帰り。大好きな人が家の前にいた。
抱きしめられて、キスされて。だからベッドに促した。
大好きな人、俺を抱いてくれた。愛してるって言ってくれた。
他の男とは別れろ。そう言ってくれた。嬉しくて泣いた。
他の人と、今まで付き合ってきた過去。すごく怒られた。
ごめんなさいって泣いた。

日曜日、くすぐったいような距離。朝からずっと口説かれた。
すぐにでも返事をしたかったけれど、筋を通すことにした。
俺一筋だったと。9年もの歳月を、俺だけの事を考えていたと言う、好きな人。
だから、俺もけじめをつけようと思った。
元彼、ちゃんとしっかり別れてから。そう思って、井田に返事をしないでいた。

「体…どう?ヤバい薬ではないらしいけど…」

そう言って、俺に近づく男前。
夢…だと思っていたら違った。額に触れる掌。
体温を感じる。体が熱くなる…。

「体…すごく…変。…たすけて」

ねだってみる。すると、微笑んでくれる。
ねぇ、もしかして。助けてくれた?

「…どうしてほしい?青木の望むこと、全部叶えるよ」

撫でてくれる右手。手の甲…少し赤い。
気になって見ていると「血は落としたんだけど…気になる?」なんて言う。

大丈夫…なのかな?
元彼の体の心配よりも、目の前の好きな人の体裁を憂いた。

「誰の心配してる?」

拗ねた顔で聞かれる。もちろん、お前。
そうキスして応える。

「…もう、酷いことしないって…決めてるのに。そんな顔するなよ…」

井田の切ない声、体の奥がぎゅんって、期待する。

「酷いの…いやじゃない。井田なら、なんでもいい…」

返事をすると、ため息。胸を触られて、キス。
それを合図に…始まるセックス。

見慣れぬ天井…繁華街のラブホテル。そこに大好きな人。すごく嬉しい。
俺は初めて来たけどね。そう拗ねる男前に、好きを伝えた。
まるで、俺のために作られたような井田の体。
触られるだけでも、飛びそうなのに。挿入されると、おかしくなる。

揺さぶられる体がフワフワして、泣いてしまうほど気持ちがいい。

大好きだよ。
そう、笑ってくれる人。だから、大好きを返した。
これから、よろしくね。そう、キスをした。


◇


「あー緊張する」

「…荷物取りに帰るだけから」

あの夜以来、戻らずにいた実家。
仕事関係の物。流石にまずいと、取りに戻ってきた。

9年前。失くした記憶を辿る時、勿論うちにも連れこんだ。
でも、あの時。全く思い出せないようだった。

失くした記憶に、うちの親も入っている。
だから、今の想太としては初対面。緊張するのも無理はない…。

ただいま。と引き戸を開けるのは左の手。なぜなら右の手は…彼でふさがっているから。

手を繋いだ俺たち。涙して喜ぶ母の顔。
優しい青木に慰められて、嬉しそうな母に、少しの嫉妬。



「そういえば…さっき、おひさしぶり…って言わなかったか?」

数週間ぶりの自室。もう、戻ることのない、自室。
そこを片付けながら、ふと思う。
荷物を纏めてくれる恋人が「うん、そうだよ」と軽く返事。

「うちの親に、久しぶりって…青木、記憶戻ったのか?」

片付けなんて、してる場合じゃない。と、恋人の肩を掴む。

「あ、言ってなかったっけ?思い出してるよ、俺」

もう、使わない…そう思っていたパイプベッド。
何度も、想像の中で彼を抱いた。そんなベッド。
階下の親と、相棒に気も遣わずに。
そこに、押し倒す。

「こわいこわい、目が怖いって」

そう笑う、彼。

「くわしく、話をするべきだろ?」

負けじと笑う。すると、キスで誤魔化す恋人。

窓から入る初夏の風。夕焼けが夜に染まっていく。そんな、空。
とりあえず、このまま彼を抱いたなら。一緒に、またあそこに行こう。
初めてキスした、あの場所に。
もう一度、抱きしめて。しっかりと伝えなければ。
俺の気持ちを、伝えねば。


「おかえり、青木」
 

終



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