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さよなんかは、いわないで(前)




「青木。話しがあるから、屋上にすぐに来い」



昼のチャイムが鳴り響く教室で、鬼の形相の大男に、そう、話しかけられた。
鬼は人垣を分けて、屋上に向かって行った。


「青木、井田に何かしたの?殺されるの?」


あっくんがいつもの軽口で話しかけてくる。
いつもなら、そんなわけあるか!と同じノリで返すのだが、今日はそれができない。
なぜなら、相手のマジギレがガチだから。

何かした?こちらが聞きたい。井田とは席が前と後ろなだけで、それ以上の関係性はない。あんなにキレた感じで呼び出される理由が本当に分からない。
なんだろ?授業中のいびきがうるさい?え?今更?

オレもついてこーか?というあっくんに、ジェスチャーで『来なくて良い』と伝える。
鬼の井田の要件は知らないが、あっくんが付いてきても事態の好転は絶対にないから。


足取り重く屋上に向かう。
そこには仁王立ちの鬼がいた。

…桃太郎は、畜生の連れだけで、よくもこんなのに挑めたもんだ。
軽く現実から目を逸らしていると、鬼が言葉を発した。



「青木、昨日の日曜日。男と一緒にホテルからでてきたろ」




…俺は鬼に殺された。


◇


終わった。終わった…。

真っ暗闇の中で、井田の説教だけが耳に響く。

『俺が男とホテルにいたところで、お前に言われる理由はないだろ!』とキレてみたが、『オレは風紀委員だ』と返事された。
話が通じる相手じゃない。と全身が訴える。恐怖で、体が震える。


「合意の上かもしれないが、未成年がホテルに入るのは、感心しないな」

「…何が目的だ…金か?」


鬼を睨む。すると、相手は少し怯んだ。


「青木、金に困ってるのか?パパ活なんて…」

「ちがうわ!恋人じゃ!彼氏だ!」


言ってしまって、しまったと思った。
パパ活と、彼氏。どちらの方が風紀委員会的には罪が重い?


「あんな男、やめとけよ。青木が泣くだけだぞ」


相手を認識できるほど、見られていたのか…。そして、鬼の言い分は訳がわからない。お前は親か!


「これ、強請だよな。井田の目的はなんだ?金は…そんなにないぞ」

「目的は金じゃない。オレは金には困っていない」


その言い方だと、まるで俺が金に困ってるみたいじゃないか!まぁ、でも金じゃないなら、助かる。


「青木。オレの目的は、お前の話を聞くことだ。これから毎日、悩みを聞いてやる」


???


「男と手を繋いでいる青木を見たが、全く幸せそうに見えなかった。だから、青木の相談にのってやる。お前も相談できる相手がいた方がいいだろ」


…鳩が豆鉄砲とは今の俺のことか?
相談しろと、無理矢理迫られている…?


「いや、そう言ってくれるのはありがたいけど、プライベートなことだし、気持ちだけ受け取っておくよ」

「相談しないなら、青木が男とホテルから出てきた件を、風紀委員会の議題としてとりあげる」


金取られる方が、断然ありがたい!!


「今から相談会を行ってもいいんだが、心の準備もあるだろう。よって、明日からな。また昼休みにここで」


そう言って屋上を後にする井田。
俺には犬も猿も雉もいなかった。

…鬼に勝てるはずがなかった。


◇


「お、青木。生きてるじゃーん!で、井田。何の話だった?」

あっくんの軽い声が今は、沁みるほどありがたい。

「た、たいした話じゃなかった…」


ふーんと言い、席に座るあっくん。
前の席の井田はまだ、戻らない。
空白の井田の席を見つめて、俺は震えた。

井田、今までよく知らなかったけど、マジで怖い。


午後の授業は身に入らなかった。まぁ、入らないのはいつも通りだけど…。

こんなんじゃあ、また言われるな。しっかり勉強しろと。あの恋人に…。


◇


放課後、重い足取りでいつもの塾に向かう。
いつもの席に着くと、いつもの声をかけられる。

「想太、今日は宿題やってから、代数をやろうな」

そして、去り際にノートに貼られる付箋。


(送ってく。一緒に帰ろう)


付箋をくしゃりと丸めて、ペンケースに入れた。
家に帰ったら捨てる…。証拠は残さないのが、ルール。

でも、捨てられなくて。実は鍵付きの机の引き出しにとっておいてる。

少し離れた席で他の生徒を教えている先生の姿を覗く。
…目が合う。恥ずかしくて、手元のノートにわけのわからない公式を書きこんだ。


◇


駅前から少し離れた繁華街の路地裏。
真っ暗な駐車場で、塾を終えた俺はぼーっと彼を待っていた。


「ごめん。遅くなった」


息を切らして駆け寄ってくれる。
男の俺を、まるでお姫様みたいに車にエスコートしてくれる。

まだ、彼はエンジンをかけない。なぜなら…。


「…想太、今日もかわいいね」


暗い車内でキスをくれるからだ。


◇


俺の彼氏は先生だ。…先生と言っても塾の先生。
本業は大学生。そんなに年は離れてないのに、すごく大人に感じる。
かっこいい彼氏。
俺が女子なら、絶対に自慢してる。

運転する彼氏の横顔を見ながら、昨日のことを思い出した。


週末はいつも、彼の部屋で過ごしていた。
彼との出逢いは、2年になって通い始めた今の塾。

担当の先生が彼だった。
大学生がかっこいいのか、彼がかっこいいのか。
大学生になったら俺も先生みたいなイケメンになりたいと話したら、かわいがってくれるようになった。
付き合い始めたのは先月。
いつものように教えてもらっていたら、隣からノートに付箋が貼られた。


(想太の事が気になってます)


思わず顔を見たら、先生の顔は真っ赤だった。

俺の顔も同じだったに違いない。


回想を終え、車の窓に視点を合わせる。
もうすぐ、俺の家の近くまで着く。


今日の出来事を話そうか?
……いや、やめとこう。


俺も彼氏がいることを周りにわざわざいうつもりはない。
でも、俺以上に、彼。…岡野くんは、男と付き合っているなんて、絶対に周りに言わないだろう。


「想太、元気ないね。どうした?」

「んん…なんか眠くて」


暗い車内。それをいいことに誤魔化した。

昨日は、初めて外でデートした。
いつもは岡野くんの部屋で会っていた。

ラーメンを食べに行こう。と外で初めての待ち合わせ。公式になれたようで浮かれていたら、途中のホテルに連れてかれた。

俺に合わせて、ゆっくりと一歩ずつ、恋人同士の階段を登ってくれた岡野くん。
そんな彼氏が、全くの余裕なく、拉致するようにホテルの部屋に連れ込むもんだから、
おかしくって、断る理由なんてなかった。


「昨日、ごめん。やりすぎた…」

「そんなことないよ。俺も気持ちよかったし…」


手をつないで、見つめ合って、キスをして…。

岡野くんはそれらのステップを一度にまとめることはなかった。
俺の気持ちを伺うように、丁寧に進めてくれた。


「昨日はがっついてしまって、本当に悪い。想太が卒業するまでは、これ以上は進めない。誓うよ」

「…岡野くん…」


ホテルでは。キスして、手を握って、裸になって、足を絡めあった。
お互いのものを手で扱きあったし、口で慰めあったりもした。

でも、挿入はなかった。
途中で懇願しそうになったけど、彼氏は一線を超えなかった。

ほっとしたような、がっかりしたような。そんな時間だった。


だから俺は、迂闊になっていた。
手をつないでホテルからでるなんて…。

普段は人の目を気にする岡野くんも、昨日ばかりは俺と一緒で迂闊だったんだ。
だから、井田の話で、そんな彼を動揺させたくない。


(金銭を強請られているわけじゃないしな…)


家の近くの、ここもまた暗い路地裏。
車のライトの明るさで、キスはできない。手を握って、別れるだけ。


「今週末は、部屋で待ってる…」

「うん。…わかった」


キスをしたい…。お互いにそう思っている顔。
それを抑えて、俺たちは過ごしている。

人目を気にした、逢瀬。
不満なわけではない。そうではないんだけど…。

俺は、いつまで彼氏に、こんな日陰ぐらしをさせるつもりなのか…。

そんな事が、悩みだった。


◇


「青木。昨日、あの男と車で帰ってきてただろ」


青空と鬼のコントラスト。…最高にファンタジー。


げんなりした顔で井田を見つめると、犬の散歩の途中で見た。とのこと。
一番使えそうな犬が鬼側についているとか、無理ゲーじゃねぇか。


「犬に、風紀委員会という金棒…。勝てるはずもない…」

「何の話をしてるんだ?青木」

「桃太郎…かな?」


寝ぼけてるのか?と井田に聞かれる。
ああ、寝ぼけてるよ。昨日だって色々考えて眠れなかったんだ…。

青空の屋上、最高の青春シチュエーションで、俺は井田と昼飯を食べる。


「ということで、相談に乗るぞ」

「なんで相談を受ける側が喰い気味なんだよ。俺には相談したいことなんて、ないって」


嘘。本当はある。


「嘘つくな。悩んでますって顔にでてるぞ」

「マジか!」

指摘に驚き、顔を触る。
笑う、井田。ほう。笑顔は爽やかだな。


「まぁ。すぐに言えないなら仕方ない。言えるようになるまで待つ」

そういってパンをほおばる井田。
ん?この相談会って、俺が悩みを打ち明けるまで続いてしまうの?


…まぁ、それもありかな。
俺もパンに噛り付いた。


◇


隣で青木がパンを頬張っている。
甘いものが好きなのか。全部、菓子パン。
清楚な唇だと思っていたら、意外に大きく開くらしい。メロンパンを3口くらいで食べた。

青木をいつから目で追っていたのかは、覚えていない。1年のころから名前を知ってはいた。見かける度にかわいいな。とは思っていた。

女子みたいに華奢なわけでも、大きい胸があるわけでもない。ちゃんと、しっかりと、男。
でも、すれ違った時の香りは、女子以上に甘くて。いつか、もっと近くで嗅ぎたいと思っていた。

そして、自覚したのは2週前のこと。
月曜の体育。後ろで着替えている青木をこっそり見ていたら、白い肌に赤いものがあった。
左の鎖骨の下。制服でも体操着でも見えない位置に、自己主張の激しい赤痣があった。

キスマーク…

虫刺されの類ではないと確信できたのは、青木が気怠そうにエロい顔をしていたから。

それから、青木を目だけではなく、追うようになった。
ホテルから出た姿を見たのは偶然じゃない。
ホテルに入るところから、見ていたんだ。

手を繋いで出てきた二人。その惚けた顔を見て、このままでは終わる。と思った。

相手は大人。しかも現在は恋人の座にいる。闇討ちすればいいってもんじゃないだろう。

まずは青木の悩みを聞いて、信頼を勝ち取ろう。そう思って翌日、月曜。青木に挑んだ。


◇


「青木はあいつのどこが好きなんだ」

見た目に似合わず、ベジタブルサンドを食べている井田が話しかけてきた。

月曜日に井田に殺されて、火曜、水曜、木曜と。毎日、屋上で相談会が強行されている。

「青木、聞こえてるか?あの男のどこが好きなのか。を聞いてる」

めんどくさい。と、思う気持ちと、
『きいて、きいてー、ウチの彼氏ねー♡』とベラベラ喋りたい俺の中の女子高生がせめぎ合う。

「…かっこよくて、優しいところ?」

女子高生が勝った。
誰にも言えない分、聞いて欲しい気持ちは知らぬ間に、馬鹿でかくなっていたようだ。

「かっこよくて、優しいだけで、お前はホテルにノコノコついてくのかよ…」

ゴミを見る目で、こっちを見るな!
だから、パパ活じゃねーんだよ。つきあってんだよ!

「どちらから、誘ったんだよ」

え?何について?と聞くと。ホテルと言われた。

「そりゃ、ホテルは相手だけど…」

「誘われたら、すぐについていくのか。最低だな、青木のビッチ」


お前、辛辣じゃね?穏やかな俺じゃなきゃ、殴り合いになってるぞ、てめぇ。


「そもそも、塾講師なんかと、なんで付き合う事になったんだ?」

「…それは、授業中に相手から告白されて…♡」


もっと聞いて聞いて♡の気持ちで井田を見ると、鬼はスマホを取り出して、言った。


「お前の塾、駅前の個別指導だよな?本部に電話して、生徒に手を出してる講師がいるって言っとくわ」


いや、それだけは絶対にやめて!!


◇


俺には年下の、かわいい恋人がいる。
人生を捧げる予定の愛しい人だ。

親公認で会えるのは週3回。
でも、それだけじゃ足りなくて、自習の名目で、平日をまるっと貰っている。
恋人になってからは、日曜日も独り占めしてる。

駅前の個別指導。机と人が雑然と並ぶこの教室が、俺らの出逢いの場所。

集中して解いている姿を、真横で見つめる。誰にも何にも言われずに、オフィシャルで恋人を見つめられる貴重な時間だ。

回答を書き込んでいく白い手。この手が俺のものになった。俺のものを触った。

何も知らない恋人に、一つ、一つと教えるのはあまりにも甘美だった。

欲に溺れてはいけない…。
今までそう自戒して生きてきたのに。キスひとつで理性はぶっとぶ。
初めてキスした次の週は、唇から首元へ流れるようにキスをした。シャツの襟を広げて、鎖骨に吸い付いた時、かわいい想太は甘い声をあげた。

まさか、声だけでイッてしまうと思わなかった。
濡れた下着がばれないように、大人の余裕なんてものが、存在しないことを気付かれないように。
だから、次の週は外で会うことにした。

待ち合わせ場所に現れた想太は、あまりも愛らしかった。
もう少年ではない彼の顔は、精悍さも伺える。なのに、あまりにも可愛らしかった。


外で手は繋がない。
お互いの暗黙のルールができていた。
多様性とか、自由な恋愛観…。色々と耳ざわりの良い言葉が表面上には浮いている。
でも、足元は、偏見と、人を貶めたいという醜さで腐臭がわいている。この世はそんなもんだ。

きれいな想太をそんなもので汚したくはない。
後ろ指、陰口…。初めは埃のような軽い偏見が、想太に触れる頃には差別というナパーム弾になるだろう。
あんなどろどろとした殺戮兵器に、想太をささげるわけにはいかない。


でも、俺の意思は弱かった。
ラーメン屋の前に盛大な寄り道をしてしまった。

連れ込んだホテル。
キスをしながら、想太の服を脱がした。
想太の裸は想像以上にきれいで。
下着を剥いだ時、罰が当たるんじゃないかと思った。

神々しいとすら思っているのに、ただの獣の俺は、先のことなど考えずに想太の性器をしゃぶった。
首、腕、乳首。鎖骨には先週付けた痕が残っていた。

想太の初めてになれる悦び。
発狂するほどの僥倖。

俺の醜いペニスを咥える想太。
シックスナインなら、普通は顔が見えない。でも、ここはラブホテル。大きな鏡のおかげで、フェラをする想太と、俺が舐めまくってる想太のアナルが両方楽しめた。

挿れたい。挿れたい。

舐めて、しゃぶって、吸って。
今はもう、舌先よりもっと奥まで、想太のアナルに挿れている。

ヒクヒクと想太のアナルは、真っピンクに濡れて誘っている。

「岡野くんの…♡おちんちん、おっきい♡硬くて…、すごい、あつい♡」

ごめんね想太。顎、つかれちゃうよな。
小さい口で、一生懸命しゃぶってくれる想太。唇とアナル濡らして、もう、エロ過ぎて、俺は死んでもいいよ…。

「…ん…想太…ごめんっ。出るっ」

とうとうコントロールが効かなくなって、射精した。
想太の口に出してしまった。慌てて吐き出させようとする。なのに…

「んっ…んんっ…♡……」

まさか、想太が飲んでくれた。罪悪感と、感激がせめぎ合う。

「想太、ごめん…。我慢できなかった。でも、汚いから。そんなの飲まなくていいから」

「…おいしいもんじゃないけど、岡野くんも俺のを飲んでくれたから…」

違うんだよ、想太。俺は飲みたくて。味わいたくて、お前のちんこをしゃぶったんだよ。

テラテラ光る唇に、噛み付くようにキスをする。舌で歯をなぞり、想太のかわいい舌を吸う。

ほら。まだ口の中が苦い。
甘い想太の口内に、こんなものを残してしまった。後悔、喜び。そして、想太への愛しさ。

フェラした後の女にキスをしたことなど一度もない。自分のだというのに、潔癖症の俺は、女の口まんこが、まんこより汚く見えるからだ。
でも、想太は違う。何よりも神聖で綺麗な想太。汚してしまって、本当にごめん。

「あ…っ…♡岡野くん♡もうっ…だめ♡」

キスで想太の口内を掃除しながら、想太のアナルを手淫し続けていた。

ちゃんと男のペニス。いやらしく、腰ごと揺らして、想太の体が跳ねる。

挿れたい

もう、理性で抑えつけられるものじゃない。
想太との未来を失いたくない。その恐怖だけで、留まっている。

一度、想太の中に挿入ってしまえば、俺はもう我慢ができない。

部屋に閉じ込めて、ずっと犯し続けるだろう。明るい塾の教室で、服を破いて、このエロい体に挿入してしまうだろう。


そんな事を、したら。もう、おしまいだ。


◇


想太が隣で頑張っているのに、俺は最低だ。
ルーティン化した、職場のトイレでのオナニー。いつも、ここでの賢者タイムは、死をもって詫びたい気持ちになる。

だけど、ここで発散しないと、想太の隣にはいられない。いつだって、隣に座る生徒の服を毟って、エロい乳首をしゃぶろうと俺は狙っているんだ。
それを抑えるためには、これは…仕方がないんだ。

賢者になった俺は、想太のいる教室に戻る。
これで、二人きりの車内でも、我慢ができる。今日も恋人を車で送ろうとニヤけていたら、帰り支度の想太がいた。


「岡野くん。ごめん。ちょっと用事があって、今日は自習せずに帰ります」


笑顔の型にしてはいるが、笑えてはいない。

急いで教室をでる恋人を、追いかけたい衝動。それを強く抑える。
こんなバイト、いつ辞めたっていい。
でも、想太との繋がりを、失いたくない。

想太が合格するまでは何があっても辞めないと決めている。
でも、もし。想太がここからいなくなったら…?

何気ないように、窓に近寄り、窓の下に見えてくるはずの想太を探す。
駅に向かうはずだからと探していると、ロータリーの近くで見つけた。自分の視力の良さを褒めたい。

しかし、想太は駅には向かわず。
ある人影の前で止まった。

犬を連れた背の高い男。顔まではハッキリ見えなかった。


◇


「青木、遅い」

肩で息して、呼吸を整える。本当は走っている勢いのまま殴りたかった。


キャンキャンキャン!!!

鬼の側近の犬が、俺に吠える。
もしかして、桃太郎なのは井田の方なのか?
いや、もう。そんなのどうでもいい。
クソ、なんで俺がこんな目に…。


「ほら、いくぞ青木」


犬がガルルと俺を睨む。それなのについてこいという。普通に嫌だ。


「約束通り授業が終わったら、すぐに出てきたんだ!もういいだろ。俺は一人で帰る!」


塾に電話しそうな井田を、必死で止めた。なんでもするから、それだけは許して欲しい。
そう懇願すると『勉強はオレが教える』と言われた。

いつものように意味の分からない井田の話を聞くと、俺には男をダメにする淫魔が乗り移ってて、そのせいで彼氏をダメにしてるらしい。
健全な体になるためには、彼氏と会う時間を減らし、適度な運動と勉強が必要との事。

なんのエロゲーだよ。と突っ込んでみたが、無駄だった。

適度な運動と勉強は井田が見るらしい。
よって、俺は自習をせずに、井田と合流した。
今後のプランは一緒に井田家まで散歩をし、その後、井田に勉強を習う。

こんなプラン。1ミリも納得できていない。
ビッチだの淫乱だの。こいつはおれをバカにしている!


「青木が行ってるの、あの塾だよな。このまま豆太郎と乗り込んで、生徒に淫行を強要する岡野って講師は誰だ!叫んでもいいんだが?」


何故、彼氏の名前が割れているのか…。
俺は涙を堪えて、豆太郎の散歩について行った。


◇


時々俺の方を振り返っては、噛みつこうとする豆太郎。キレイな毛並みの柴犬。本当は撫でまくりたいほど犬は好き。でも、好かれない。

井田の家までは、歩いて20分位らしい。
こんなに夜風にあたったのは久しぶり。
最近はずっと車だったから。
ひんやりとした夜の空気、意外とたくさん見える星。
確かに、健全になりそうだ。


(岡野くん。急に帰ったの、どう思ってるかな…)


約束をしていたわけではない。
でも、一緒に帰るのが常になっていた。


今までは付箋でのメッセージだったが、ホテルデートの後からは、耳元で『一緒にかえろ』と、囁かれるようになった。
情事を思い出して赤面していたが、もしかしたら、付箋という証拠を残したくないのでは…。
そんな可能性に気づくと胸が苦しかった。


何にも言わない井田の後ろ姿を見ながら、彼氏を思うと、情緒が不安定になる。

岡野くんは、なんで俺なんだろう。
岡野くんなら、いくらでも恋人ができるだろう。

実際、多分。沢山、恋人がいたと思う。そしてその中に、同性はいなかったんだろう。
岡野くんは、多分。生粋の同性愛者ではない。

未成年の俺からでもわかる、岡野くんの家の財力。一人暮らしのマンションは賃貸ではないと言っていた。
親の税金対策だよ。と笑っていたが、馬鹿な俺には大学生の一人暮らしと税金の関係性がよくわからない。
人をただ運ぶだけではない、運転を楽しむための車も持っている。
岡野くんの家は、俺が想像つかないようなお金持ちなんだろう。


(男と一生いる人じゃない。結婚して、子どもを作らなきゃいけない人だろう…)


岡野くんに好いてもらっているのは、感じる。大切にしてくれている。愛されているとも思う。
でも。彼が、周りに誰も居ないのを確認してからキスをくれる時。密室でしかお互いの体を確かめ合えない時。
俺は自分の無力さに絶望する。

愛する人をどうして、日陰者にしなくてはいけないのか。いつまで、彼にこんなことをさせるのか。と。

俺では岡野くんを幸せにできない…。

認めたくなかった、己の弱さ。
それをきっと井田に気づかれたんだ…。



「…俺じゃさ。彼氏を幸せにできないんですよ。…それが一番の悩み」

前を歩く、犬連れの男に言葉を吐き出す。
それなのに…


「……」


勇気を出して、絞り出したのに。風紀委員は振り返りすらしない。

お前が毎日うるさいから、仕方なく相談してやったのに!もうこれ以上は喋らない!!
そう怒っていたら、井田の足が止まり、ゆっくりこちらを振り返った。


「青木が、そんな頭悪い事を考えてるとは、思ってなかった…」


こいつ、マジでなんなの!?


◇


青木と変態講師の後をつけるのには、苦労している。

嫌みたらしく、車で誘拐を繰り返すあの男。
塾終わりの青木と合流し、家の近くまで毎日エロい目で青木を占拠してる。

流石に車には走っても追いつけない。でも、待ち合わせポイントと、別れるポイントはいつも同じ。
車より少し遅れるが、車道ではないルートを全速力すれば、二人に間に合うことができる。
こんな毎日の練習で、長距離のタイムが伸びたと思う。

こんな事をしていたので、最近は豆太郎の散歩にろくに付き合えなかった。
でも、今日は豆太郎に青木を紹介がてら、一緒に歩ける。

強請られている!と青木は怒るけど、オレにしてみれば、想い人との待ち合わせ。
そろそろ、塾からでてくるだろうか…
ソワソワしてる俺の前に青木が届く。走ってでも時間を守る姿勢に、胸がときめく。

肩で息する青木に、わざと冷たく、『行くぞ』と促した。

青木は日に日にエロくなっていく。
部活の奴に借りた、エロマンガ。それに、こんなのがでてきてた。青木は、男の精液を搾り取るために生まれた魔物的な何かなんだろう。
…そう茶化さないと直視できないくらいに、オレの思いは膨らんでいた。


「井田!お前が相談しろってしつこいから、話してみたんですけどねー!言ったら言ったで、馬鹿にしやがって!」


怒ってる顔がかわいいって、本当にあるんだな。豆太郎がいなければ、草場に押し倒して、強姦してた。
豆太郎、連れてきてよかった。


「相手を幸せにできない理由。自分に原因があると思ってるんだろ?何が原因だと思うんだ?」


…彼氏を幸せにできない。そう青木は言った。
あの男が幸せじゃない?あいつは宇宙一のラッキー野郎だろ。いつもデレデレしやがって。地獄の最下層で何度も死ね!オレはそう思ってる。

だから、青木の思考回路は全く分からない。でも、ここが一番の付け入る隙だと直感した。
どんなに仲の良い恋人同士でも、必ず、隙がある。
そう、オレの読んだHow to本には書いてあった。オレはその隙を見逃すわけにはいかない。


「岡野くんを…男である俺が縛っているのが、申し訳ない。普通の幸せを、俺は与えてあげられない…」

青木はそう、絞り出して、泣いた。
怒ったり、泣いたり、忙しいやつだ。
でも、その姿が愛しすぎるから。
オレの堰が壊れた。

「…んっ…!」


甘い。青木の唇は甘い。
初めてキスをした。触れるだけのキスだけど、やっとのことに満足していたら、青木の声があまりにエロくって…。
そして、こいつは初めてじゃないんだな。と思うと頭にきて、何度も角度を変えてキスをした。


豆太郎がギャンギャン叫ぶ。
でも、オレは止まらない。このまま、押し倒そう。そう思っていたら、青木に突き飛ばされた。

顔を真っ赤にして、涙目の青木。
周りにはオレたちを眺める観衆。青木のエロい姿をその他大勢に見せたくは無い。わかった、オレの部屋でしよう。


そう声をかけようとしたら、青木は叫びながら、逃げた。


豆太郎の異様な鳴き声に、オレは追いかけるタイミングを逃してしまった。


◇


顔を合わせないように過ごすには、席が近すぎる。


「なに、ぼさっとしてるんだ。早く屋上に行くぞ」


後ろを振り返り、井田が言う。
席替え、そろそろしませんか?と担任に言っててみたが、はいはーい。そのうちーと、流された。
今日は学校に来なければよかった。後悔してる。

井田はいつもと変わらない普通の顔をしている。
そして、手を握って俺を連れて行こうとする。
もちろん振り払う。恐ろしい。こいつは恐ろしい。

彼氏以外と初めてキスをした。
昨日は混乱して、岡野くんに返事もできなかった。今日は金曜日で、塾はない。
だから、いつもなら自習にいくのに、それをキスの相手に止められている。
なんなんだ?この状況。分からない。井田が、本当に分からない。

そして、なんやかんやで屋上に連行される。
いつも通りに昼食を摂る、井田。


「オレ、今まで青木の恋愛相談にのってきただろ…」


井田はいきなり喋り出す。いや、何で俺から相談したみたいな感じなんだよ。
確かに昨日は…相談っぽいことしたけれども!


「だからさ。青木にもオレの相談に乗って欲しい。いいかな?」


じっと見つめられる。
今まであんまり見ないようにしてた井田の顔。だって、こいつの顔。かっこいい。


「オレ、好きな人がいる。これ以上我慢できないし、告白しようと思う」


見つめられて、そう言われる。


「でも、告白してダメだったら、青木がオレを慰めてほしい」


首を高速で横に振る。だって嫌な予感しかしない。


「オレ、青木が好きだよ。オレが青木に振られたら、青木はオレを慰めて」



少しずつ、井田と俺の距離が0になる。



「青木はオレを慰めるために、オレの恋人になって。…なぁ、分かってただろ?青木」


警告音が頭の中で爆音をあげる。
なのに、俺は井田から目を離せない。



「オレが青木が好きだってこと」


後頭部を掴まれて、口を食われた。


これは、まずい。
井田越しの青い空を見て、そう思った。




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